「猪苗代湖/福島県」
2022年12月16日
猪苗代湖(いなわしろこ)は、福島県会津若松市、郡山市、耶麻郡猪苗代町にまたがる、日本国内で4番目に広い湖。別名、天鏡湖(てんきょうこ)。阿賀野川水系所属の一級河川の指定を受けており、福島県のシンボルの一つとされていて、「日本百景」にも選ばれている。
福島県のほぼ中央に位置する。面積は琵琶湖、霞ケ浦、サロマ湖に次いで第4位で、福島県最大。また、湖面の標高514mは、全国でも有数の標高の高い湖であり、「磐梯朝日国立公園」に属する。長い間、湖面は境界未定地であったが、境界を画定することで地方交付税を増やすべく、「等距離線主義」で1999年(平成11年)10月に境界線が引かれた。これにより湖面は47%が猪苗代町に、28%が会津若松市に、25%が郡山市に属することとなった。強酸性の地下水や強酸性の源泉(地中から水が湧き出てくる場所のこと)による強酸性の水質が特徴の酸川(すがわ)の水が長瀬川を通じて流入するため、特に流入部を中心に、湖水は酸性を示す。これによりプランクトンが少ない。また、鉄イオンやアルミニウムイオンの濃度が高く、酸性の流入水と中和する過程で有機物やリンが凝集して沈殿するため、水中の有機物の量を示すCOD(Chemical Oxygen Demand:水中の被酸化性物質を酸化するために必要とする酸素量を示したもの。代表的な水質の指標の一つであり、酸素消費量とも呼ばれる。)は0.5mg/Lと日本でもっとも少ない湖であり、4年連続で湖沼の中で水質日本一になっている。しかし、近年、流入する酸性水の量や質の変化、生活系や産業・農業系排水の流入等の要因によって湖水が中性化する傾向があり、今後中性化が進行すると有機物を沈殿させる作用が働かなくなったり、湖底に沈殿していた物質が溶出したりして水質が急激に変化する可能性がある。湖の形成過程としては、第四紀(地質時代の一つで、258万8000年前から現在までの期間。)以降、東側の川桁断層により盆地の形成が始まり、新第三紀(地質時代の区分の一つで、2,303万年前から258万年前までの時代を指す。)中も西側の会津盆地東縁断層などを含む東西の断層により、現在の猪苗代湖に続く盆地の形成がなされた。その後、南方からの火砕流による西側山地の発達を経て、磐梯山による9万年前頃の翁島火砕流堆積物と4万2千年前頃の頭無火砕流堆積物によって、盆地排水部がせき止められ、湖盆地形が形成され、湖の水位が上がった。その後、日橋川(にっぱしがわ)による急激な侵食により湖面が現在の高さまで低下し、現在の猪苗代湖が形成された。縄文時代中期から後期にかけては、現在よりも湖の水位が低かったと考えられ、湖北部の沖においてこの時期の土器などの出土が見られる。伝説として、弘法大師(空海)がこの地を通りかかった際、機を織っていた女に水を乞うが断られてしまう。そこで別の村で米をといでいた翁という名前の貧しい女に米のとぎ水を乞うと、快く飲ませてもらえた。その翌日、磐梯山が噴火して周囲の52の村が陥没して湖底に沈んでしまったが、弘法大師に水を飲ませた翁の家だけは湖底に沈まず、島となった。これが翁島だという話が会津地方に伝わる。猪苗代湖は、福島県を代表する観光スポットである。キャンプなど、年間を通して家族連れなどの観光客が多い。白鳥の飛来地としても知られており、長浜を発着する遊覧船も運行されている(はくちょう丸とかめ丸の二艘)。湖北岸には天鏡閣(重要文化財)、野口英世記念館などがある。冬には、強い季節風に吹き上げられた水しぶきが木などに付着して、そのまま凍り付いてできる「しぶき氷」が有名である。