「江の島/神奈川県」

2022年11月22日

江の島(えのしま)は、神奈川県藤沢市にある湘南海岸から相模湾へと突き出た陸繋島。湘南を代表する景勝地であり、古くから観光名所となっている。神奈川県指定史跡・名勝、日本百景の地である。交通機関の駅名などでは「江ノ島」と表記することも多いが、町名や公文書等では「江の島」と表記する。古くは江島神社 (日本三大弁天の一つ)に代表されるように「江島」と表記されていたこともある。「緑の江の島」と歌われるように、島の上部は照葉樹林と呼ばれる常緑広葉樹林に覆われている。この森林は1988年(昭和63年)、「かながわの美林50選」に選定されている。温暖な気候を利用して開かれたコッキングの植物園や、その跡地を利用した「江の島植物園」に植栽された熱帯・亜熱帯産の外来植物の中には、江の島の風土に根付き、成長・繁茂している例も多い。そのうち4種は藤沢市の天然記念物に指定されている。イルカの群れが周辺に定着したこともあり、極めて稀にだがクジラが沖に見られることもある。四囲を海蝕崖に囲まれた険阻な地形、海蝕洞「岩屋」の存在は、古来宗教的な修行の場として江の島を特色づけてきた。奈良時代には役小角が、平安時代には空海、円仁が、鎌倉時代には良信(慈悲上人)、一遍が、江戸時代には木喰が参篭して修行に励んだと伝えられている。寿永元年(1182年)に源頼朝の祈願により文覚が弁才天を勧請し、頼朝が鳥居を奉納したことをきっかけに、代々の将軍や御家人が参拝したといわれる。鎌倉時代以後も、その時々の為政者から聖域として保護され、参詣されてきた。弁才天は水の神という性格を有し、歌舞音曲の守護神とされたため、歌舞伎役者や音楽家なども数多く参拝した。ことに音曲に関連する職業に多い視覚障害者の参拝も見られ、中でも関東総検校となる杉山和一の存在は特筆すべきである。参拝者のための宿坊も門前に軒を連ね、関東一円に出開帳を行うなどの活動も見られた。宿坊の中でも岩本院(江嶋寺=こうとうじとも呼ばれた)は有名で、現在の旅館「岩本楼」の前身にあたる。安政5年(1858年)の日米修好通商条約から1899年(明治32年)の日英通商航海条約発効までの間、横浜の外国人居留地に住む人々は、行動範囲を居留地から10里以内に制限されていた。その制限範囲内にあり、風光明媚で宿泊施設が整っていた江の島には、明治初期以来多くの外国人が訪れるようになった。東京大学の初代動物学教授エドワード・モースは1877年(明治10年)7月から8月まで、シャミセンガイ研究のために江の島に日本最初の臨海実験所を開いた。アイルランド人貿易商サムエル・コッキングは、東山頂上部にあった与願寺の菜園を買い取り、別荘と庭園の造営を開始した。多くの熱帯植物を収集栽培し、本格的なボイラーを持つ大型温室やオオオニバスの栽培池を持つという画期的な熱帯植物園が完成したのは1885年(明治18年)のことであった。このように、文明開化の時代に江の島が近代博物学発祥地の一つとなった。1985年(昭和60年)4月、北緑地に「日本近代動物学発祥の地記念碑」が建てられ、2002年(平成14年)の江の島植物園リニューアル工事の際にコッキングの温室跡が再発見され、新しくオープンした公園は「江の島サムエル・コッキング苑」と名付けられた。落語の大山参りに見られるように、江戸時代後期には江戸庶民の行楽地として大山- 江の島 – 鎌倉- 金沢八景を結ぶ観光ルートが流行した。立て前は寺社参拝だが、景勝地や古蹟を訪ね、名物料理を味わい、名産を土産とするという側面が強くなってくる。江の島の風光は多くの浮世絵に描かれ、歌舞伎の舞台となるなど、広く知られるようになる。明治維新の廃仏毀釈により、与願寺は宗像三女神を祀る江島神社となり、宿坊は一般旅館へと転業した。1887年(明治20年)の鉄道開通、さらに1902年(明治35年)の江ノ島電気鉄道(江ノ電)の開通は江の島に多くの観光客を運ぶことになり、鎌倉まで全通すると、江の島、鎌倉を結ぶ観光ルートが確立し、修学旅行などで賑わうようになった。大正時代には新たな神社として児玉神社(軍人の児玉源太郎を祀った神社)が祀られた。1923年(大正12年)9月1日の関東大震災により島全体が2メートル近く隆起し、海蝕台が海面上に現れる。東岸の津波被害は著しく、島内のほとんどの建物は倒壊した。江の島桟橋は津波で流失する。震災の復興が進む中、1929年(昭和4年)には小田急江ノ島線が開通し、観光地発展のきっかけを与えた。神奈川県は湘南海岸一帯の国際観光地開発を目論み、湘南遊歩道路(現・国道134号線)の敷設をはじめ、インフラ整備が進められた。江の島では1934年(昭和9年)4月、海底透視船が営業開始するなど、新しい魅力が加わった。戦後、1947年(昭和22年)4月1日、江の島を含む鎌倉郡片瀬長は藤沢市に編入され、藤沢市と江ノ島鎌倉観光による江の島の観光地開発が本格化する。木造の江の島桟橋はコンクリート橋脚(橋桁は木製)の「江の島弁天橋」となり、「江の島植物園」「平和塔」の建設が続いた。1959年(昭和34年)3月5日、藤沢市は米国マイアミビーチ市と姉妹都市提携を結び、「東洋のマイアミビーチ」という触れ込みで江の島・片瀬・鵠沼地区の観光開発に力を入れる。この年、江ノ島鎌倉観光は日本初の野外エスカレータ「江ノ島エスカー」を建設した。1964年(昭和39年)の東京オリンピックでヨット競技会場になった頃が観光客数のピークで、以後は漸減する。1971年(昭和46年)、岩屋で落石事故が起こり、立ち入り禁止となったことも江の島の魅力を失わせることとなった。そこで1986年(昭和61年)、観光地江の島の再生が図られた。2021年、2020年東京オリンピック・パラリンピックのセーリングの会場となったが、コロナ禍で無観客ということもあり、一般客には会場であることを知らない者も多く、人出も少なかった。