「高田松原/岩手県」
2022年11月08日
本日より新シリーズとして、「日本百景」シリーズを始めます。第一弾は海岸から。
高田松原(たかたまつばら)は、岩手県陸前高田市気仙町の太平洋岸にある松原である。かつては約7万本もの松が2kmの砂浜に茂っていたが、東日本大震災(2011年)による津波で「奇跡の一本松」を残して倒壊した。その後、植樹による再生が4万本を目指して進められ、2021年5月18日に完了した。このうち600本は、震災前年にクリスマスの飾り物用に地元の女性が高田松原で拾い集めて保管していた松ぼっくりを森林総合研究所材木育種センター東北育種場に寄託し、その種から育てた苗木が使われた。松原は江戸時代の1667年(寛文7年)から1673年(延宝元年)にかけて、山際の高田・気仙川沿いの今泉両地区の防災のために高田の豪商・菅野杢之助によって植栽され、仙台藩と住民の協力によって6,200本の黒松が植えられた。しかし半数が枯れてしまったため、さらに18,000本の黒松を補植。その後、享保年間(1716年-1736年)には松坂新右衛門による増林が行われ、その後も陸前高田に住む人たちによって植えられた、黒松と赤松からなる合計7万本もの松林は、仙台藩・岩手県を代表する防潮林となり、景勝の一つであった。その白砂青松の景観は世に広く評価されていた。石川啄木と金田一京助は、盛岡中学(現・岩手県立盛岡第一高校)時代に行った徒歩による遠足の終点として当地を選んだ。国の名勝や陸中海岸国立公園(現・三陸復興国立公園)に地域指定され、様々な環境評価・施設評価の選定地となり、2009年(平成21年)には104万人の観光客が訪れるなど観光地としても賑わっていた。また高田松原海水浴場は、ウィンドサーフィンやヨット、ボートなどマリンスポーツも盛んな場所であった。