「ミニヤコンカ/中国」
2022年10月18日
ミニヤコンカは、中国四川省カンゼ・チベット族自治州にある大雪山脈の最高峰。由来は、ミニヤ国の白い山という意味である。標高7,556m。冬虫夏草をはじめとした貴重な薬草の採集地として知られ、麓の倒栽沖には唐代に皇帝から「薬王」の名を授けられたという孫恩妙を祀る廟がある。ヒマラヤ山脈の各峰の標高が正確に測定される前は、標高9,220mとされ、世界最高峰に位置づけられたこともあり、古くから登山の対象となっている。しかし、急峻なうえにピークが不明瞭で遭難者から「頂上に騙された」と評されるほどの地形不明確な山頂、目まぐるしく変化する天候のために登頂に成功した者は20名に満たず、世界でも屈指の難峰となっている。1981年(昭和56年)には北海道山岳連盟登山隊8名の滑落死事件があり、日本人海外遠征隊での最大の犠牲者数である(行方不明者を含めた場合1991年(平成3年)に雲南省の梅里雪山で11人の日本人が犠牲になっている)。1982年(昭和57年)には日本の登山隊2名が遭難し、その中の1人が19日後に奇跡的に生還した。1990年代以降、山麓に位置する海螺溝氷河の周辺は自然保護区に指定され、観光地開発が進められている。初登頂は当時としては異例とも言える少人数の隊によって達成された。当初、エベレストより高い可能性があると目されていたアムネ・マチン峰の遠征隊として12人の参加が予定されていたが、満州事変の勃発により登頂許可が得られなかったため遠征が頓挫。一部は無許可のままアムネ・マチン峰へ向かったが、リチャード・L・バードソル、テリス・ムーア、アーサー・エモンズ、ジャック・セオドール・ヤングの4人はミニヤコンカの測量および登路偵察、大型獣の標本採集を目的とした西康遠征隊を結成した。満州事変の混乱に加えて中華民国軍はチベット軍との戦闘も行っていたため、最寄の都市である打箭濾周辺でも人足や駄獣の大規模な徴発が行われており、資材の運搬要員の確保にも困難を極めた。結果として最終的にベースキャンプより上でも活動したハイポーターはわずか2人、ヤング隊員は第1キャンプへの荷揚げを完了すると撤収の際に必要なポーターの手配と折衝をするために下山したため、終盤の登山活動は3人で行われた。エモンズが手を負傷したため最終アタックはバードソルとムーアの2人で行われ、6,700m地点に設営された第4キャンプから9時間半かけて登頂に成功した。なお、登頂前に4人はより綿密な測量活動を行い、ミニヤコンカの標高は7,587m、測定誤差±25mと現在の計測値に非常に近い数値を算出している。この標高の登頂は1931年に登頂されたインドのカメット峰(7,756m)に次ぐ世界第二位の記録だった。