「リモⅠ/インド」
2022年10月07日
リモI (Rimo I) は、リモ山群の主峰で、標高は7,385m。カラコルム山脈の支脈であるリモ山群の北部に位置している。シアチェン氷河の氷河末端から20kmほど東北に位置し、「世界で71番目に標高の高い山」とされている。「リモ (Rimo)」は「縞模様の山」という意味であるとされる。この山に発するリモ氷河 (Rimo Glacier) は、ショク川に流れ込んでいる。カラコルム山脈東部の中心部という遠隔地に位置していることから、リモ山群はほとんど知られないまま、20世紀に至るまでほとんど誰も足を踏み入れなかった。探検家フィリッポ・デ・フィリッポは1914年に、フィリップ・クリスチャン・フィッサーとジェニー・フィッサー夫妻は1929年に、当地を訪れた。当地は、遠隔地であることに加え、シアチェン氷河一帯をめぐってインドとパキスタンが政治的、軍事的に対立している不安定な地域となっている。現状では、インドがリモ山群へのアクセスを支配している。リモ山群は、「リモ」の名を冠した6峰の山峰から成っている。リモIの他に、以下の山々がある。
・リモII 7,373 m ・リモIII 7,233 m ・リモIV 7,169 m ・リモV 6,882 m ・リモVI 6,846 m
リモ山群登攀の最初の試みは、1978年(昭和53年)の日本の遠征隊によるものであったが、これはほとんど成功しなかった。1984年(昭和59年)にはインド陸軍の遠征隊がリモIVの登頂に成功し、1985年(昭和60年)には有名なヒマラヤの経験者ハリシュ・カパディアが率いる、十分に組織されたインド/イギリス遠征隊が入山した。このインド/イギリス遠征隊は、デイヴ・ウィルキンソン (Dave Wilkinson) とジム・フォザリンガム (Jim Fotheringham) がリモIIIの初登頂に成功したが、リモIの登頂は果たせなかった。リモIの初登頂であり、現在のところ唯一の登頂は、フカム・シン (Hukam Singh) と尾形好雄が率いた1988年(昭和63年)のインド/日本隊によるものである。この隊は、南側のアイベックス・コル(Ibex Col、「ヤギの鞍部」の意)と呼ばれる重要な鞍部を起点として、南壁を登攀して南西稜に上がった。この経路は、1500mに及ぶ技術を要する登攀を含むものであった。