「サルトロカンリ/パキスタン」

2022年09月02日

サルトロカンリ (Saltoro Kangri) はカラコルム山脈の一部をなすサルトロ山地 (サルトロ山稜とも) の最高峰である。標高は7,742 m。世界 31 位の高峰で、カラコルム山脈の奥深くに位置する。インドとパキスタンの国境紛争地帯でもあり、インド軍が展開するシアチ ェン氷河地方とパキスタン軍が展開するサルトロ山稜西部とで「実際の地上位置線(軍事分界線)」をなしている。現時点ではインドが支 配下に置いている。頂上への初挑戦は 1935 年の J・ウォーラー率いるイギリス隊であり、続いてエリック・シプトン率いるイギリス大 学遠征隊がパキスタン政府から登山許可を得て、パキスタン側からビラフォンド・ラ経由で頂上に近づいたが、登頂はしなかった。この遠 征隊への登山許可発給は、パキスタンによるオロポリティクス (登山の政治利用) として1984年のシアチェン紛争を招くきっかけとな った。1962 年、四手井綱彦率いる日パ合同サルトロカンリ遠征隊が挑戦し、6 月 24 日に斎藤惇生、高村泰雄 、ラジャ・バシールの 3 名が南東稜ルートから登頂を果たした。1981 年にはインド軍大佐ナレンドラ・クマー率いるインド軍遠征隊も南東稜ルートで登頂して いる。1960 年代にアメリカで発行されたこの地域の地図や多くの世界地図ではインドとパキスタン間の軍事境界線が誤って引かれてい た。この軍事境界線は 1949 年のカラチ協定で定められた各点から NJ9842(軍事分界線の北端のポイント)やカラコルム峠の東北東 を通り、サルトロカンリとシアチェン氷河全体がパキスタン領になっていた。しかし、1972 年に締結されたシムラ―協定では、「氷河か ら北 ("thence north to glaciers")」という句を除いてポイント NJ9842 を超えない範囲で軍事境界線が定義された。1981 年にもう 1 隊登頂して以降、他に登頂を試みたものはいない。

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