「アンナプルナ/ネパール」

2022年07月26日

アンナプルナは、ネパール・ヒマラヤの中央に東西約50kmにわたって連なる、ヒマラヤ山脈に属する山群の総称。サンスクリット語で「豊穣の女神」を意味する。Ⅰ峰(8,091m)、Ⅱ峰(7,937 m)、Ⅲ峰(7,555 m)、Ⅳ峰(7,525 m)、南峰(7,219 m)、ガンガプルナ(7,455 m)で、主峰のⅠ峰の標高は世界第10位である。アンナプルナの山容は、ネパールのポカラや近在のダンプス、サランコットなどから、比較的手軽に見ることが出来る。ネパールの鎖国時代には外国人の立ち入りは禁じられていたが、1950年(昭和25年)開国直後の6月に、モーリス・エルゾーグ隊長率いる錚々たる第一線アルピニストを揃えたフランス隊によって、Ⅰ峰の初登頂がなされた。人類が足跡を記した最初の8,000m峰であり、3年後にエベレストが登頂されるまでは人類が登頂した最も高い山である。しかし、14座ある8,000m峰の中では10番目の標高であるが、けっして容易な山ではない。北面は常に雪崩の危険がつきまとい、南面は岩と氷の困難な大岩壁が立ちはだかっている。最も登られる北斜面は、北氷河を通過するルートで雪崩が頻発し、雪崩を避けるために稜線沿いにルートをとった場合でさえ雪崩による死者が多数出ている。そのため8,000m峰の中では最も登頂者が少なく、2012年3月の時点で、登頂者数191人に対して死亡者数は61人に達する。死亡率が高い理由は、エベレストのような商業登山の対象とならず、難度の高いルート、単独ないしアルパイン・スタイル(ヒマラヤのような超高所や大岩壁を、ヨーロッパ・アルプスと同じような扱いで登ることを指す登山スタイル)、無酸素による挑戦の比率が高いことにも起因している。エルゾーグ率いるフランス隊のアンナプルナ登頂に際して、いくつかの特徴が見られる。テントやその他の装備に軽量でコンパクトな化学繊維製品が採用され、「ナイロン部隊」と呼ばれたこと、70度もの氷壁を登るというアルプス的登山が行われたこと、時間の関係で最後はラッシュ・タクティクスをとったことである。出発時は目標の山をアンナプルナにするかダウラギリにするかも決まっておらず、その限られた時間で登路を見出し、登頂に成功し、生還できたことは僥倖であった。登頂したエルゾーグとルイ・ラシュナルの足指20本、手指10本が凍傷で失われたことを考えると、内容的には失敗に近いものともいえるこの遠征に学んだフランス山岳界は、以後の高所登山のあり方を見なおすことになる。その成果が、5年後のマカルー登頂だった。

 

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