「わんこそば/岩手県」
2023年05月02日
第六話 5月2日は「わんこそば/岩手県」
わんこそば(椀こ蕎麦)は、岩手県(花巻、盛岡)に伝わる、そばの一種。
熱いそばつゆをくぐらせた一口大のそばを客のお椀に入れ、それを食べ終わるたびに、給仕がそのお椀に次々とそばを入れ続け、それを客 が満腹になりふたを閉めるまで続けるというスタイルが基本となっている。なお、提供するわんこそば店によっては差異がある。長野県の 戸隠そば、島根県の出雲そばと共に、日本の三大そばの一つとされる。また、盛岡市では「盛岡冷麺・盛岡じゃじゃ麺・わんこそば」をセ ットで「盛岡三大麺」と称し、最近では「いわて三大麺」とも呼ばれる。一般的には椀に一口そばを次々に給仕し、客が椀にふたをするま で続ける方式がとられる。
1. 「わんこ(お椀)」で食べる 2. 「給仕」がつく
3. 「温かいそば」である
花巻・盛岡などの地域では、祭事の際に地主が大勢の村人や客人にそばを振舞うという風習があった。しかし、100 人以上にもなる相手
にそばを供する際、通常の作り方では釜が小さいために全ての人にそばが行き渡る前にのびてしまう。このため通常の分量のそばを小分け して振舞うことが行われるようになった。また、食べ終わるやいなやお代わりを無理強いするのは、「おてばち」と呼ばれる、客人に対す るもてなしの礼儀に由来すると言われている。なお、岩手県の平泉町周辺には、あらかじめ小分けされた冷たいそばの入ったお椀(二十数 杯)を、お盆でまとめて提供し、客が自分でお代わりを入れて食べる「盛り出し式」または「平泉方式」と呼ばれるものがある。岩手県の 花巻市・盛岡市にあるわんこそば店では、わんこそば本来の「おもてなしの心」を重視し、客の食べるペースに合わせてゆっくりと最後ま でおいしく食べられるように工夫している店と、観光客向けのパフォーマンスを重視し、お椀を客の前に重ねたり、給仕がそばを入れる際 に掛け声を発したりと工夫する店のどちらかであることが多い。料金は一杯いくらではなく、基本的には食べ放題の定額制である場合が多 い。また、店によっては何杯かがセットになったものや、杯数制限のある場合もある。一部の店舗では店に入ると大部屋に案内され、そこ で他の客が集まるまでしばらく待たされる。これは、昔ながらの大勢で食べるスタイルを重視しているためである。薬味なども用意されて おり、ネギや海苔、鰹節、大根おろしなどの他にも、店によってまぐろやとろろ、イカの塩辛や天麩羅など多彩である。これは、そばだけ では飽きてしまうため、そばを沢山食べられるように味に変化を与え、食感にエッジを効かせるためである。 わんこの一杯の量は店ごと に異なり、わんこ 7 杯でかけそば一杯とする店から、15 杯でかけそば一杯とするお店など様々である。店によってわんこ一杯の量もかけ そば一杯の量も違うためである。昔から年越しわんこそばをする習慣があり、歳の数だけ杯数を食べると長生きすると伝えられてきた。
わんこそばの起源として、以下の 2 説が言われている。
• 花巻起源説
およそ 400 年前の慶長時代、当時の南部家 27 代目当主、南部利直が江戸に向かう際に花巻城に立ち寄り食事を所望した。「殿 様に対して市民と同じ丼で差し上げる事は失礼」との発想から、山海の幸と共に漆器のお椀に一口だけのそばを試しに恐る恐る出 したところ、利直はこれを「うまい」と何度もお代わりをした。という説。 その後明治時代になり花巻市の蕎麦屋「大畠家」が一般にもわんこそばを振る舞うようになり「お殿様の召上がったわんこそば」 は市民の人気になった。大正から昭和初期にかけて花巻の一般家庭にはわんこそばの道具があり、「わんこそば」が楽しまれてい た。 花巻市出身の斎藤市太郎氏が盛岡で始めた「わんこや」(現在廃業)が「わんこそば」を商標登録し、戦後から盛岡の蕎麦屋でも
わんこそばが振舞われるようになった。
• 盛岡起源説 盛岡出身の政治家・原敬が帰省して大好物のそばを食べた際に、「そばは椀コに限る」と言ったことが広まった。