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更新情報一覧

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2021-09-24

「今日は何の日?」シリーズ


第七十九話。9月24日は「何の日?」。


1952年(昭和27年)の今日、明神礁(海底火山)での噴火を観測中の海上保安庁の測量船が噴火に巻き込まれ、31名全員が死亡。


海底火山体の本体は明神海山と呼ばれ、海底からの比高が約1600m、直径約7×10kmの海底カルデラをもつ。明神礁はこのカルデラの外輪山北東部に形成された後カルデラ火山となっている。また、カルデラ中央部には「高根礁」とよばれる中央火口丘があり、山頂は水深330mにある。明神礁は、1952年(昭和27年)9月17日の噴火を最初に報告した静岡県焼津市・焼津港所属の漁船「第十一明神丸」にちなんで命名された。同年9月24日、噴火を観測中の海上保安庁の測量船「第五海洋丸」が突然消息を絶った。捜索の結果、噴火に巻き込まれたことを示す遺留品や船体の断片が見つかり、田山利三郎測量課長を始めとする31名が遭難、全員殉職したものと認定された(付近の「高根礁」の爆発に巻き込まれた、との説もある。生存者や目撃者が存在しないため、真相は不明)


【噴煙を上げる明神礁とそれを眺める「しきね」船員(昭和27年)】


2021-09-23

「今日は何の日?」シリーズ


第七十八話。9月23日は「何の日?」。


1884年(明治17年)の今日、加波山(かばさん)事件が発生。


自由民権運動の激化事件の一つであり、急進的な考えを抱いた若き民権家たちが起こした。福島事件に関わった河野広躰(河野広中の弟)等のグループが中心で、これに茨城県・下館の富松正安や栃木県内の民権家が加わっている。宇都宮に移設される栃木県庁落成時に、民権運動を厳しく弾圧した三島通庸県令や集まった大臣達を爆殺する計画であったが、鯉沼九八郎が爆弾製造中に誤爆させ、計画が発覚すると、茨城県の加波山山頂付近に立てこもり、「圧制政府転覆」「自由の魁」等の旗を掲げ、決起を呼びかけるビラを配布した。又警察署や豪商の襲撃も行なっている。事件後、後日の再集結を約して解散するが次々に逮捕された。その後、自由党幹部である田中正三をはじめとする300名におよぶとまでいわれる民権家が逮捕された。しかし、政治犯とはならず、資金集めの際の強盗等の罪によって裁かれたため、起訴されたのは加波山に立てこもった16人と、鯉沼らの若干名にとどまった。7名に死刑判決が下され(うち1人は刑執行前に獄死)、3名が無期懲役となった。獄死した者以外は特赦によって1894年(明治27年)までには出獄している。この事件を期に、政府は爆発物の使用に対して刑法(所謂旧刑法)の規定よりも厳格に取り締まるため、爆発物取締罰則を制定した。茨城県筑西市下館地区の妙西寺に富松正安らの4名が葬られ、「加波山事件志士の墓」として市指定文化財(史跡)となっている。


【下の写真は志士の墓】



2021-09-21

「今日は何の日?」シリーズ


第七十七話。9月21日は「何の日?」。


1897年(明治30年)の今日、『ニューヨーク・サン』社説「サンタクロースは実在するのか」が掲載される。


かつて存在したアメリカの新聞『ザ・サン』(ニューヨーク・サン)に掲載された社説である。新聞社に投書した8歳の少女からの質問に答える形で、同社の記者であるフランシス・チャーチ(1839-1906)が社説を書いた。日本では1977年(昭和52年)に偕成社より『サンタクロースっているんでしょうか』として初版が出てから2016年(平成28年)には119刷に達した。訳者の中村妙子は忘れがたい一冊の一つとしている。掲載に至った経緯は、当時8歳のヴァージニア・オハンロンがニューヨーク・サン編集部に「サンタクロースはいるのですか」という内容の手紙を送ったことから始まる。手紙の概要は、彼女が「サンタクロースはいるのかどうか」について友達と意見を交わした際、サンタクロースはいないという者がいるので結論が知りたく、父親のすすめで新聞社、ニューヨーク・サンに手紙を出したというものである。これに対してニューヨーク・サンの論説委員であったフランシス・チャーチは社説(editorial)欄に返事を書くように頼まれ、1日で手紙についての社説を書き上げた。「Is there a Santa Claus?」という題名で、投書してくれたことに対するお礼とヴァージニア・オハンロンからの手紙の内容を載せた後に、「VIRGINIA, your little friends are wrong.(ヴァージニア、あなたの友達は間違っています)」の書き出しで始まり、特に有名な「Yes, Virginia, there is a Santa Claus.(そうです、ヴァージニア、サンタクロースはいるのです)」の一節を含む、目に見えるものしか信じない悲しさと、目に見えないものの確かさ、不変さ、そしてそれを信じることの素晴らしさを説いたものであった。 この文章が掲載されたのは1897921日付のeditorial、つまり社説のコメントの一つとしてであった。扱いとしてはページの中で左から3列目、上から7番目の項目である。その後、読者からニューヨーク・サンに数年経っても再掲の要請が繰り返されたため、ニューヨーク・サンはついに再掲に応じた。1920年代になるとニューヨーク・サンは毎年クリスマスに再掲するようになった。その後、この話は掲載されてから100年以上を経た今でも、クリスマスが近づくと世界中で語り継がれるものとなっている。

【ヴァージニア・オハンロンの手紙】





2021-09-17

「今日は何の日?」シリーズ


第七十六話。9月17日は「何の日?」。


1952年(昭和27年)の今日、戦後初の国産航空機であるR-52が初飛行。


第二次世界大戦で敗北した日本は、連合国軍最高司令部(GHQ)によって軍民一切の航空機の開発と生産が禁止された。1952年(昭和27年)にサンフランシスコ講和条約が発効し、日本の独立が回復するとともに、航空機開発も解禁された。 終戦まで活動していた立川飛行機は1949年(昭和24年)11月15日に企業再建整備法により、立飛企業とタチヒ工業とに分割されたが、後者は現在の新立川飛行機に改名する。新法人となって最初に製作したのがR-52であり、1952年9月17日に練習機であるR-52の初飛行に成功した。なお同機は戦後に民間航空機として登録されたレシプロ単発機としては通算15番目であったが、日本国産機としては最初のものであった。同形式は初号機のみで量産されることは無かった。 R-52は改良後、読売新聞に売却。1954年(昭和29年)にはR-53(Rー52の改良後継機)とともに全国の都市を訪問飛行する企画に用いられた。その後は多摩川河川敷にあった読売玉川飛行場で全日本学生航空連盟の飛行練習やグライダー曳行などに使用されていた。1959年(昭和34年)7月9日にエンジントラブルのため不時着、大破したため登録抹消された。



2021-09-16

「今日は何の日?」シリーズ


第七十五話。9月16日は「何の日?」。


牛とろの日


「牛(9)とろ(16)」の語呂合わせ。北海道の食肉加工・販売会社である十勝スロウフードが、日本記念日協会に2018年(平成30年)4月に申請、認定登録を受けた。十勝地方では同社の「牛とろフレーク」を乗せた「牛とろ丼」が知られている。



2021-09-14

「今日は何の日?」シリーズ


第七十四話。9月14日は「何の日?」。


1867年の今日、『資本論』の第1巻の初版が刊行される。


『資本論』は、カール・マルクスの著作。ドイツ古典哲学の集大成とされるヘーゲルの弁証法を批判的に継承したうえで、それまでの経済学の批判的再構成を通じて、資本主義的生産様式、剰余価値の生成過程、資本の運動諸法則を明らかにした。全3巻(全3部)から成る。副題は「経済学批判」。2013年(平成25年)に『共産党宣言』とともに資本論初版第1巻が国際連合教育科学文化機関(UNESCO)の「世界の記憶」に登録された。1867年に第1巻が初めて刊行され、1885年(明治18年)に第2巻が、1894年(明治27年)に第3巻が公刊された。第1巻は、マルクス自身によって発行されたが、第2巻と第3巻は、マルクスの死後、マルクスの遺稿をもとに、フリードリヒ・エンゲルスの尽力によって編集・刊行された。



2021-09-10

「今日は何の日?」シリーズ


第七十三話。9月10日は「何の日?」。



1959年(昭和34年)の今日、炭鉱失業者救済のための「黒い羽根募金運動」が福岡で開始される。


「黒い羽根運動」は、1959年(昭和34年)から翌1960年(昭和35年)にかけて行われた炭鉱失業者生活助け合い運動の名称である。なお黒い羽根は「赤い羽根共同募金」の赤い羽根を石炭の黒に置き換えたものである。1959年(昭和34年)当時、政府によって石炭から石油へのエネルギー転換政策が進められていたが、この政策は炭鉱の閉山へと直結するものであった。そのため、産炭地域である福岡県、特に中小炭鉱が多かった筑豊地域では炭鉱ぐるみ、あるいは地域ぐるみで大量の失業者が生じる事態となり、生活は困窮を極めた。こうした中、鵜崎多一知事の特命で炭鉱失業者の生活実態を調査した福岡県政策研究会の報告書『炭鉱離職者の生活実態』(19597月、福岡県失業者対策本部刊)が公表され、内外に大きな反響を呼んだ。炭鉱離職者の悲惨な生活実態が公表された直後の8月に開かれた第1回福岡県母親大会で「炭鉱離職者助け合い運動」が決議され、同年9月から翌年の3月まで県の後援で「黒い羽根」による募金及び衣類や食料、学用品など救援物資を送る運動が全国各地で実施された。「黒い羽根」運動は8次に渡る救援事業として行われ、募金の総額は約3700万円、救援物資は現金換算で約6000万円相当が集まった。
2021-09-09

「今日は何の日?」シリーズ


第七十二話。9月9日は「何の日?」。


世界占いの日


日本占術協会が1999年(平成11年)に制定。この日が「重陽の節句」であること、ノストラダムスの終末の予言の日が199999日とされていたこと、制定した199999日の数字を全部合計(1+9+9+9+9+9)すると46で、462つの数を足せば(4+6)「完成」を意味する10になること、明治499日に時間の数え方を西洋式に改めたこと、この日が「救急の日」で占いは運命の救急であるとのことに由来。

2021-09-07

「今日は何の日?」シリーズ


第七十一話。9月7日は「何の日?」。


1936年(昭和11年)の今日、オーストラリア・タスマニア州の動物園で飼育されていたフクロオオカミ(有袋類に属するオオカミ)の最後の1頭が死亡、絶滅。


フクロオオカミは、オーストラリア大陸やニューギニア島を含めたオーストラリア区域一帯に生息していたが、3万年前人類が進出してくると、人類やその家畜だったディンゴ(タイリクオオカミ:犬の一種)との獲物をめぐる競争に敗れ、人類の到達が遅くディンゴの生息しなかったタスマニア島のみに生き残ることになった。この状況は、タスマニアデビルも同様である。 大航海時代が訪れ、ヨーロッパから入植者が住み着くようになると、彼らはヒツジなどの家畜を襲うフクロオオカミを目の敵にした。1888年(明治21年)から1909年(明治42年)までは懸賞金がかけられ、2,184頭ものフクロオオカミが虐殺されたという。1930年(昭和5年)に、唯一と思われる野生個体が射殺され、次いでロンドン動物園の飼育個体が死亡し、絶滅したと思われたが、1933年(昭和8年)野生個体を再度捕獲。ホバート(タスマニア州の州都)の動物園に移されるも、1936年(昭和11年)に死亡、絶滅となった。 それ以降も度々目撃情報があり、タスマニア大学(州立大学)の研究チームなどによる生存調査も実施されているが、映像や死骸等の物的証拠が無く、確実な証拠はない。このため、大半の野生動物の専門家はフクロオオカミの生存説には否定的である。


2021-09-03

「今日は何の日?」シリーズ


第七十話。9月3日は「何の日?」。


301年の今日、現存する中では世界最古の共和国である、サンマリノ共和国が成立。


通称サンマリノは、イタリア半島の中東部に位置し、首都はサンマリノ市。国土の周囲は全てイタリアで、国土の面積は十和田湖とほぼ同じ。世界で5番目に小さな「ミニ国家」である。マリーノという名の石工がローマ皇帝によるキリスト教迫害を逃れ、この地に潜伏しキリスト教徒の共同体を作ったという伝説にちなんで、「聖(サン)マリーノ」が国名となっている。

2021-09-02

「今日は何の日?」シリーズ


第六十九話。9月2日は「何の日?」。


宝くじの日


「く(9)(2)」の語呂合せ。当選券の引き換え忘れ防止のPRの一環として第一勧業銀行(現みずほ銀行)が1967年(昭和42年)に制定。

2021-08-31

「今日は何の日?」シリーズ


第六十八話。8月31日は「何の日?」。


1888年(明治21年)の今日、イギリスで「切り裂きジャック」による最初の殺人事件が発生。


切り裂きジャック(Jack the Ripper)は、8月31日から11月9日の約2ヶ月間にロンドンのイーストエンド、ホワイトチャペル(当時、両地区とも貧民街であった。)で少なくとも売春婦5人をバラバラに切り裂き、殺人を実行したが逮捕には至らなかった。署名入りの犯行予告を新聞社に送りつけるなど、劇場型犯罪の元祖とされる。当時の定義づけによる精神病患者から王室関係者まで、その正体については現在まで繰り返し論議がなされているが、1世紀以上経った現在も犯人は不明である。 切り裂きジャックは売春婦を殺人の対象に選んだ。犯行は常に公共の場もしくはそれに近い場所で行われ、被害者はメスのような鋭利な刃物で喉を掻き切られ、その後、特定の臓器を摘出されるなどした。そのような事実から解剖学的知識があるとされ、ジャックの職業は医師だという説が有力視されている。しかし近年、最新のプロファイリングにより肉屋であるという説も有力とされた。 このような事件が起きていた間にも、被害者の女性たちが警戒心もなく犯人を迎え入れていた形跡があることから、実は女性による犯行とする説もあった。また、犯行は1年以上続いたなど、様々な異説がある。「ジャック」とはこの場合特定の人物の名前を示すわけではなく、日本でいう「名無しの権兵衛」のように、で呼び方の定まっていない男性を指す呼称である。


【下の絵は、「切り裂きジャック」を取り上げアメリカの雑誌『Puck』の表紙】




2021-08-27

「今日は何の日?」シリーズ


第六十七話。8月27日は「何の日?」。


男はつらいよの日


1969年(昭和44年)の今日、『男はつらいよ』シリーズの第1作が公開されたことに由来する。



2021-08-26

「今日は何の日?」シリーズ


第六十六話。8月26日は「何の日?」。


1950年(昭和25年)の今日、黒澤明監督による映画『羅生門』が封切り。


監督は黒澤明、三船敏郎、京マチ子、森雅之などが出演した。原作は芥川龍之介の短編小説『藪の中』と『羅生門』。平安時代を舞台に、ある武士の殺害事件の目撃者や関係者がそれぞれ食い違った証言をする姿をそれぞれの視点から描き、人間のエゴイズムを鋭く追及しているが、ラストで人間信頼のメッセージを訴えた。同じ出来事を複数の登場人物の視点から描く手法は、本作により映画の物語手法の1つとなり、国内外の映画で何度も用いられた。海外では「羅生門効果」などの学術用語も成立した。撮影担当の宮川一夫による、サイレント映画の美しさを意識した視覚的な映像表現が特徴的で、光と影の強いコントラストによる映像美、太陽に直接カメラを向けるという当時タブーだった手法など、斬新な撮影テクニックでモノクロ映像の美しさを引き出している。第12回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞、第24回アカデミー賞で名誉賞(現在の国際長編映画賞)を受賞し、これまで国際的にほとんど知られていなかった日本映画の存在を、世界に知らしめることになった。また、本作の受賞は日本映画産業が国際市場に進出する契機となった。




2021-08-24

「今日は何の日?」シリーズ


第六十五話。8月24日は「何の日?」。


1853年の今日、 アメリカ・ニューヨーク州のレストランのシェフ・ジョージ・クラムがポテトチップスを発明。


発祥については、ジョージ・クラム発明説が流布しており業界団体も採用しているが、証拠の乏しさや異説の存在などから異議を唱える者も多い。アメリカ・ニューヨーク州、サラトガ・スプリングスのレストラン、「Moon Lake Lodge」のシェフ、ジョージ・クラムによってに発明された、という説が有力である。ある日、クラムの客(一説によれば、アメリカ屈指の大富豪コーネリアス・ヴァンダービルトだという)が、フライドポテトが厚すぎると苦情を言って、何度も作り直しをさせた。うんざりしたクラムは、フォークで刺せないような薄切りにしてカリカリに揚げ、客を困らせてやろうと考えた。しかし、クラムの企ては失敗し、この客は逆に大変に喜んだ。この料理はすぐにサラトガ・チップス(Saratoga Chips) という名でレストランのメニューに登場し、その後すぐにこの料理はニューイングランド地方でごく一般的なものになった。このように元々ポテトチップスは料理の付け合せなど食事の一部として提供されるものであった。そのときの方法はケトルフライ(釜揚げ)法という。1900年代になるとアメリカでは多くのポテトチップス製造業者が誕生し、食料品店などで樽や瓶に入ったポテトチップスが量り売りされるようになっていた。この販売方法ではポテトチップスがすぐに湿気てしまう問題があったが、1920年代にワックスペーパーで密封した小袋入りの鮮度を保ったポテトチップスが販売されるようになった。


2021-08-20

「今日は何の日?」シリーズ


第六十四話。8月20日は「何の日?」。


1827年の今日は、「ワルツのシューベルト」と呼ばれる、ヨーゼフ・シュトラウスの生誕日。


『ラデッキー行進曲』で知られるヨハン・シュトラウス1世の次男で、「ワルツ王」ヨハン・シュトラウス2世の弟にあたる。工学技師の道を歩んでいたが、病に倒れた兄ヨハン2世の代役として指揮を務めたことを契機に音楽家としてデビューした。1853年に音楽家となってから1870年に没するまでの約17年間で280曲以上の作品を残し、また500曲以上の編曲も手がけたとされる。 兄の陰に隠れがちな存在だったがその音楽的能力は兄に優るとも劣らず、ヨハン2世をして「私はただ人気があるだけだ。ヨーゼフのほうが才能に恵まれている」と言わしめたほどである。初期ロマン派音楽、とりわけシューベルトの作品に大きな影響を受け、その詩情豊かで深みのある作風から「ワルツのシューベルト」と呼ばれた。ポルカではやや作風を異にし、『鍛冶屋のポルカ』のように機知とユーモアに富んだ楽しいものが多い。快速なポルカ・シュネルの数々ではさらに愉快な気分が強調されている。ポルカ・マズルカの分野では兄以上に高く評価されることも多く、ブラームスが自身のピアノ演奏を録音したことで知られる『とんぼ』などがある。『天体の音楽』と『わが人生は愛と喜び』がそれぞれドイツ映画『会議は踊る』のテーマ音楽と主題歌のメロディとして用いられるなど、後世への影響も大きい。


2021-08-19

「今日は何の日?」シリーズ


第六十三話。8月19日は「何の日?」。


1839年の今日、ルイ・マンデ・ダゲールが世界初の実用的カメラ「ダゲレオタイプ」をフランス科学アカデミーに報告。


ダゲレオタイプ(daguerréotype)とは、ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールにより発明された、世界初の実用的写真撮影法であり、湿板写真技法が確立するまでの間、最も普及した写真技法。銀メッキをした銅板などを感光材料として使うため、日本語では「銀板写真」とも呼ばれる。転じて、その技法を採用した世界最初の写真用カメラ「ジルー・ダゲレオタイプ」もダゲレオタイプと呼ばれる。ダゲレオタイプの最も大きな特徴は、ポジティブ画像をダイレクトに得る写真技術であるという点である。ダゲレオタイプ以降に登場した写真技術では、基本的に明暗の反転したネガティブ画像を得て、そこから明暗の反転しないポジティブ画像をプリントする方式が主流であったのに対し、ダゲレオタイプは銀板上に定着されたポジティブ画像そのものが最終的に鑑賞に供される画像となる。このことは、ダゲレオタイプで撮影された写真は一枚しか存在しないことを意味する。またダゲレオタイプに使う銀板は不透明であるから、感光面側から像を鑑賞する形となり、左右が反転した像を見ることとなる。 接触などによって銀板上に定着した像が壊されやすいのもダゲレオタイプの欠点の一つであり、ガラスなどで保護するなどの対策が必要となる。初期のジルー・ダゲレオタイプは感度が低いことに加えて、レンズの開放値も暗かったため、露光時間が日中屋外でも10-20分かかり、肖像写真に使えるようなものではなかったが、1840年代初頭にペッツヴァールが明るいレンズを開発したほか、感光材料も改良されていったことによって、1-2分から最短で数秒程度の露光時間で済むようになった。

下はダゲールによる写真。「タンブル通り」


2021-08-17

「今日は何の日?」シリーズ


第六十二話。8月17日は「何の日?」。


1945年(昭和20年)の今日、インフレの進行により初めて千円紙幣を発行。肖像は日本武尊。


第二次世界大戦後のインフレーション解決のための金融緊急措置令などの新円切替が行われる以前(旧円)の最高額紙幣。

1941年(昭和16年)に製造を開始。1942年(昭和17年)の大蔵省告示で発行の宣言をしたが、これは紙幣を発行する権限が大蔵省から日本銀行へ移管することを理由とした形式的なのものである。移管した後では大蔵省が印刷した紙幣を発行することができないからである。そのような事情で発行されたため、発行後数年間は日本銀行に死蔵されることになる。 そして終戦直後の1945年(昭和20年)8月17日に他の新紙幣の発行とともに流通が開始されたが、新円切替に伴い発行から1年も経たず、1946年(昭和21年)32日限りで失効した。製造数は8,100,000枚(うち発行数は不明)。失効後も、証紙を貼り付けて臨時に新様式券(新円)の代わりとする「証紙貼付銀行券」が発行され流通・通用した。この「証紙貼付銀行券」も新円の流通拡大に伴い、1946年(昭和21年)10月末に失効した。


 

2021-08-13

「今日は何の日?」シリーズ


第六十一話。8月13日は「何の日?」。


1999年(平成11年)の今日、日本で「国旗及び国歌に関する法律」(通称、国旗国歌法)公布・施行。


国旗を「日章旗」、国歌を「君が代」と規定した。なお、日本で法律による国旗や国歌について規定したのは本法が最初である。


国旗・国歌法は本則2条、附則3項、別記2により構成される法律である。

 

1 国旗は、日章旗とする。

2 国歌は、君が代とする。

附則 施行期日の指定、商船規則(明治3年太政官布告第57号)の廃止、商船規則による旧形式の日章旗の経過措置。

別記 日章旗の具体的な形状、君が代の歌詞・楽曲。

2021-08-12

「今日は何の日?」シリーズ


第六十話。8月12日は「何の日?」。


1962年(昭和37年)の今日、堀江謙一が世界初の小型ヨットによる単独無寄港太平洋横断航海に成功。サンフランシスコに到着。


堀江謙一、23歳のときに小型ヨット『マーメイド号』(全長5.83m、水線長5.03m、幅2.00m、船体は合板(ラワン)製)で、単独無寄港太平洋横断を目指して、1962年(昭和37年)5月12日に兵庫県西宮を出港、同年8月12日、アメリカのサンフランシスコに入港、成功した。所要日数は94日。なお、小型ヨットによる単独無寄港太平洋横断は世界初であった。

20リットル、米40kg、缶詰200個を積んで出航。水は20リットルでは足りず、航海中に甲板に降った雨水を蓄えるなどした。当時はヨットによる出国が認められなかったため、「密出国」という形になった。8月10日に家族から捜索願が出されたことを受け、大阪海上保安監部は“自殺行為”とみて全国の海上保安本部へ“消息不明船手配”を打電し、不法出国問題より、救助を先決にしていた。堀江がサンフランシスコに到着したとの連絡を受けた大阪海上保安監部救難係は、「アメリカからは直ぐ不法出入国者として強制送還され、日本に着くと直ぐ捕まえられることになる」と話し、また、同監部は「こんな真似をされては困る。ヨット同好者などが、このような“冒険”を称賛するようなことがあればとんでもない間違いで、海の恐ろしさを知らぬ“人名軽視”だ」と非難した。なお、大阪入管事務所は「小型ヨットは一般旅客とみなされるので当然ビザが必要になる。たとえ申請があっても許可しないのは常識」と話した。しかし、サンフランシスコ市長が「コロンブスもパスポートは省略した」と、尊敬の念をもって名誉市民として受け入れ、1か月間のアメリカ滞在を認めるというニュースが日本国内に報じられたところ、日本国内のマスコミ及び国民の論調も手のひらを返すように、堀江の“偉業”を称えるものに変化した。その後、帰国した堀江は密出国について当局の事情聴取を受けたが、起訴猶予となった。『マーメイド号』は、横山晃設計によるキングフィッシャー型19フィートのスループで、姫路の奥村ボート(現・オクムラボート)にて建造された。船名は、資金不足に悩んでいた際、敷島紡績(現 :シキボウ)からの、同社商標の「マーメイド(人魚)」マークを入れてくれれば、帆を一式寄付するとの申し出を受け入れたことに因んでいる(秘密裏の計画だった太平洋横断航海のスポンサーではない。)。同艇は、現在、サンフランシスコの国立海洋博物館で保存・公開されている。 なお、1963年(昭和38年)の第11回菊池寛賞の授賞が決定した。授賞理由は、「単身ヨットを駆って世界最初の太平洋を横断した快挙」に対してである。





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